住宅が建ち並んでいた地区で唯一残った「たろう観光ホテル」。「学ぶ防災」参加者は、当時の経営者が6階から撮影した津波の映像を見学できる


岩手・田老のいま 津波とたたかい続けた防災のまち 115年間、
むき出しの鉄骨
津波の威力まざまざと伝える
津波の抜けた階は、壁が全くないか、一部を残すのみの「たろう観光ホテル」。岩手県宮古市田老の「学ぶ防災」は、1人の犠牲者も出さなかった同ホテルを見学ルートに組み入れ、津波の恐ろしさを伝える。繰り返し大津波に遭った三陸沿岸でも、田老はいち早く津波防災を実践してきた。最短距離で山へ逃げられるよう、町内の道路は碁盤の目状に整備され、交差点の角を敷地へ食い込ませる「隅切り」により、避難者は走ったまま曲がれる。きっかけは1896年の明治三陸大津波。115年間、津波とたたかってきたまち、それが田老だ。
44年がかりで防潮堤建設
防災まちづくりの先駆者に
明治三陸大津波で田老は1,859人が犠牲に。生存者36人から復興するも、37年後の1933年、昭和三陸津波で911人を失う。当時の村長は防潮堤の建設を決断。戦争による中断を経て、着工44年後の1979年、総延長2.4キロ、高さ10メートルの防潮堤が完成した。東日本大震災は平均16メートルの津波が到達したが、一定の減災効果を発揮した。学ぶ防災ガイドの元田久美子さんは「もとの防潮堤の一部は復旧強化し、震災後に整備した防潮堤とともに二重の防御になった。防潮堤は逃げる時間を稼ぐためのもの。私たちの経験を次世代の防災に役立ててほしい」と語る。
とろける至福の味わい
海の恵み 色鮮やかに
なぜ田老の人々は全国にも先駆けて巨大防潮堤を築いたのか? その背景にあるのは、命を守ることと、海から離れることなく生きることの両立だったという。2018年10月に誕生した「瓶ドン」は、そんな海への愛情にあふれた新名物だ。
宮古にはもともと、牛乳瓶入りの生ウニがある。それをヒントに、イクラ、イカ、ホヤ、海藻など、色鮮やかな海の幸が彩りよく輝く。市内9店舗と商品開発を行った一般社団法人宮古観光文化交流協会の赤沼喜典事務局長は「少しずつでも一気にでも、ご飯にかけて、丸ごと宮古の恵みを楽しんでほしい」と話す。
制作:河北新報社